だめだこりゃ。 diary

言いたい事も言えない訳でもない。

わりと普通。

風邪による咳にやられてしんどい日が続いている。

いつもだとなんでまた休みの日になると風邪引くんだ!と

むくれてふて寝するのだが、今回はなぜかそんなに怒りも少ない。

まぁ性格的にぼやきはしたが。

 

一つは気分良く暮らす事に決めたから。

二つ目は気分が良い事があったから。

三つ目はそれを楽しめる体力があったから。

 

とまぁホント残念なほどの普通な感想であるが、

それすらもなかった事を考えるとそこは進歩したねと

自分で自分をほめている最中である。

 

一つ目はあまりにバイト環境が嫌でコレではやっていられんので

バイト以外はあまり気分の悪そうなところから離れようと意識する事にして

とことん自分を甘やかしていた。

 

すると、したい事があっても健康じゃないと存分に楽しめないことが

分かってきたので健康になることにした。

できるだけ簡単で楽な方法を探したが、とりあえず体重が100キロあるので

減量してカラダを軽くする事で持続力を付ける方向で模索した。

 

一時間の散歩だったり、帰宅するときは全速力で走って帰るとか、

メシの時間を決めるとか、いろいろやっていろいろ挫折している最中に

ネットを眺めていたら、なんとなく腑に落ちる記事を見かけて

そのアミノ酸飲料の売っているところを調べて買い、

コンビニの紙パック飲料の替わりに飲むようにしていたら、

なんか調子良くなってきた。

 

で、それまではストレスを食事にぶつけていて過食気味だったのが

少しずつ食事量が減り、食事の事を考える事が減ってきた。

バイト先で賄いを200円払って食っているが、その食事で元を

取ろうとがっついていたwのも失せてきた。

それまでに試していた一週間で一キロ減量が大体スケジュールに乗ってきたので

体重計に乗るのも苦にならなくなってきた。

(この時点で三週間目で三キロ減であるw)

あといくら飲んでも酒が残らなくなってきている。

 

その体力を作ったサプリメント飲料をポカリの990ミリのペットボトルに

水を入れて溶かして飲むだけというクスリでもなく

ただのアミノ酸飲料でノドが乾いたら飲むだけで

目覚めに足が釣らなくなり、50メートルダッシュしても息切れが

少なくなってるというのは多分プラシーボなんだろうが、

今はそれのおかげにしておく。

 

なぜなら今までだって違うクスリやアプローチがなかった訳じゃないし、

それで効果を、いや勘違いさえする事が出来なかったんだから

これは一つの進歩だと思う次第。

 

二つ目はご無沙汰してたバーに散歩帰りに立ち寄ったところ、

お客さんでありながらDJをするという現場にあたりその選曲を気に入り

なんかよっしゃーみたいなテンションが降りてきて、

バイトで嫌な気分で10時間過ごしても、少し切り替えが出来てきたおかげか、

なんとなくいろんな事をしてみようと、

今出来る事ノートに書いてあまり完成度に

こだわらずひとつずつ始めて少しずつ没頭する時間を増やしたせいか、

怒っている時間が次第に減っていった。

 

ヒマな人間だから怒っていられるんだね。

 

三つ目は一つ目の効果が感じられた事による気分の良さかもね。

 

 

 

あたりに誰もいなくなってたった一人になってしまったら

存分に自分をほめるしか生きる道はないよ。

それを笑う奴すら居ないんだから。

好きにした方がいい。

禁煙宣言

おばんです。

ツイッターでつぶやくとくだらない事を結構な文字数でつぶやいているのでこれはもうブログの方が良くね?ってことでブログ始めます。

で、最初の記事はだいたい冷やし中華よろしく「ブログはじめました」とか「はじめまして」とかそんなかんじで始める様な先入観も相まって散々悩んでこじらせた挙げ句「禁煙宣言」とした訳ですが、とくにタバコ讃歌や嫌煙キャンペーンを謳いたい訳でもなくてですね、タバコに体が受け付けなくなって毎日嘔吐いてまで吸うことに意味あるのか?というしょっぱい理由で初めて禁煙宣言という文字が浮かんだのです。

自慢も誇張もする気はないのですが、自分とタバコとの関わりは祖母(以後、ばぁちゃん)がタバコ畑を持っているタバコ屋というわりと特殊な環境にありまして、幼少の頃に両親にばぁちゃんちに預けられて暮らす中、はじめての「お使い」ならぬ「お手伝い」がなんとピースというタバコの100本入りの缶にきちんと100本分タバコを巻くというものでした。

昭和40年代終わりに、4歳の自分は最初の頃は嫌々タバコを巻いていて、量が少ないとか、詰まりすぎて火がつかないとか、さんざんダメ出しを食らいながら(厳しかったのはそこだけ!)も半年もすればそこそこ上手く速く巻けるようになり、その仕事自体が当たり前になっていきました。

いまじゃ考えられないかもしれませんが、4歳くらいのガキは大人の付き添いなどなくかなり適当に放置されていました。かといってそれが育児放棄だネグレクトだとか言われる感じはなかったように思います。ですからふつうに町に出かけ、駄菓子屋なんかも近所の年長の兄ちゃんとかに連れられて普通にアイスなど買ってたように思います。その資金が巻きタバコ100本で100円という一本1円のお仕事wだったのですね。

よく考えると孫に仕事をさせてこづかい渡すというルールをばぁちゃんは考えていたのかな?とも思うのですが、仕事して対価を得るなら、掃除でもいいしお使いでも良かったはずなんですが、1本1円という分かり安さが良かったのかもしれません。

ばぁちゃんは自分が朝巻いたタバコを1日で吸いきってました。

いつも出しっ放しのコタツの麻雀卓に近所のばばぁが昼飯が済んだ頃に集まって、夕方までずっと麻雀してました。そのためにタバコは昼飯前までに巻かなければなりませんでした。だから仕事には納期があるというのも知らずに仕込まれていたんですねw

そんな暮らしを保育園にも行かずに小学校に行くまでしていたので、はじめてタバコを吸ったのは4歳くらいからだと、いま43歳なのでおおよそ40年のキャリアな訳です。だから学校でタバコ吸ってはいけませんとか言われた頃にはもう肺は真っ黒だった訳です。

非行の象徴のような喫煙という行為も、幼少からの生業から始めているせいか、自分はとくに反抗的というキャラクターではなかったので周囲もタバコを吸っていると知っている友達も少なかったように思います。家で当たり前とはいえ学校に持ち込んでまで吸いませんでしたし。

小学校からまた父と同居するようになって気づいたのは父は不思議とタバコは吸っていませんでした。なんで吸わないの?と尋ねても特にこれといった答えもなく、「やめたんだ。」の一言でした。

自宅でもばぁちゃんから定期的に配給されるセブンスターを吸っていたのですが、父に見られて怒られるでも無く普通に吸っていたのですが、背が伸びなくなるとかいろいろ弊害を知ったり、テニスをはじめてスタミナが切れるのを心配していつの間にか吸わなくなってしまいました。スポーツに夢中の時はやめていられたんですが中学でスポーツやめて高校で暇なバイト先でまた復活してからはずっと吸い続けています。

しばらくしてばぁちゃんちに顔を出すと、いつの間にかタバコの自動販売機だけの営業形態に変わり、タバコ売りのカウンターの裏からは麻雀のパイの音が響いていて、吸うタバコもピースじゃなくてフィルター付きのハイライトに変わっていました。

で、自分に言うのです。「たばこ巻くか?」

どこぞのかばい的なばぁちゃんエピソードは特にないのですが、相撲とプロレスと麻雀を愛するばぁちゃんはハイライトを毎日2箱吸い続けても94歳まで生きてました。

88歳からは白内障で失明しているのにも関わらず、レイ・チャールズみたいなサングラスをして、誰も来ないタバコ屋のコタツでラジオ聴きながらタバコを吸って暮らしてました。今考えると要介護的な部分はかなりの部分で麻雀仲間との交流で生きてたんだと思います。

 

94歳までチェーンスモーカーでいるというのは大変な事だと43歳は思います。

だけど何もかも犠牲にしてまで吸い続けるというのも馬鹿げている。

 

体が無理と信号を出したならやめるべき。

 

でもねぇ、ボンヤリやめようとしてもボンヤリと吸っているんです。

 

だめだこry